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シニアのつぶやき。70歳からのブログ


by kobakazuk

お知らせ

2010年4月8日午前3時30分、父が永眠致しました。
享年77歳でした。

この数ヶ月はパーキンソン病が悪化し
身体を動かす事もかなり不自由となっていましたが
「元気になったらブログを再開したい」とよく話していました.

幾つになっても新しい事に挑戦したり、若い人たちとの交流を好む父は
ブログでの発信を特に気に入っていたようです.

今まで父を応援してくださってありがとうございました。
ここに生前のご厚誼を深謝し、謹んでお知らせ申し上げます。

子供達より。
# by kobakazuk | 2010-04-09 14:51
 何とお呼びすれば一番適当でしょうか?
 この老人ホームやホームに隣接する病院には多くの職員が働いている。皆さん一生懸命でその真剣性はよく伝わってくる。これらの方々は、それぞれ、いろいろな資格をお持ちであるわけである。医師、看護師、介護師、理学療法士、介護師などなどである。それに、食事に関わる人、掃除、整頓にかかわる人たちがいる。ワーカーとかヘルパーとか呼ばれる人たちである。職名、資格の具体性およびその多さについては私も現在把握しているわけでなく、また、理解をしていない。
 利用者や患者にとっては、自分のベッドから、あるいは廊下においてすれ違うときなどに声をかける必要性がたびたびおきてくる。先方は白衣マスクなどしているから、皆、同じような仕事についているようにみえる。また、胸の名札はこのような時、急いでいるのでまず、識別できない。
 そこで出てくる呼びかけの言葉は、ぴんからきりまであり、
 看護婦さん! 看護師さん! ナースさん! などがあり、また、
 よく耳にする言葉として、ワーカーさん!ヘルパーさんがあり、 
 その他、親しみをこめた呼びかけ、お姉ちゃん!もよく聞く言葉である。 
こんなに多いと、呼びかけられた方でも混乱するし、また、わかりました、そのように上に伝えますという返事が返ってくる場合が多い。そこで、職員の上下関係も色々と存在するのだなと判ってくる。いずれにしても、伝えたい事項が伝われたら良いのであるが、途中で消えてしまう場合も多々ある。。
大切な情報が途中で途絶える状況になるわけであるが、このような老人ホームにおいては、利用者の老人と職員の交流が何よりも大切である。
それにはまず、老人にもよく識別出来る同じタイプの名札票を全員胸の見易い位置につけてもらったらどうだろうか 名前を呼び合うことによって少しでも両者の親近感を増す助けになればと思う。昔から行なわれていることであろうが、もっと明確にするわけである。
# by kobakazuk | 2009-11-22 15:38 | 老人ホーム
ある老人ホームの1日から(その5、運動会)
 10月の下旬のある土曜日にホームにおいて運動会が開催された。主体は勿論、居住者の老人達である。車椅子を使う人が半分近くおられる。また、女性は全体の6〜7割りと多い。これに職員が加わる。職員は女性が主体である。
会場は食堂。我々老人は赤組と白組に分けられ、それぞれの色の鉢巻きをして壁を背に赤白向かい合って座った。運動会の内容は、身体を慣らすための準備体操とゲームであり、ゲームは、玉送り、玉入れ、借り物競争、パン食い競走などであった。
開始が午後1時半、終了が午後3時であり、果たして、この内容でこの時間内に終わるのかと思った。 ところが、私の心配は全くなく、会の運営委員の方々は実に見事に会を進行させ、老人達も心から楽しんだ様子だった。あとで面白かったと云う声を多く聞いた。運営委員の各位に謝辞と敬意を表したい。
例えば、私の隣のおじさんは始まる前からがひどく緊張して、何やらぶつぶつ言っている。片手に原稿を握っている。どうやら開会式の挨拶を委員長としてするらしい。「原稿みないで話すのよ」と励まされ、コチコチの状態である。結局、メモを見ながら大役を果たし、ほっとした様子であった。このことは彼には自分の生涯の記憶として残るに違いない。
このような出来事を老人たちの胸に焼き付けていくことはかなり大事であることと考えている。人生の最後に近づいた時、誰でも自分は一体、自分の人生で何をしたのだろうと思う事があるに違いない。そのとき、少しでも多くの答えが出せる人ほど、その人の人生は満ちていたと云えるのかも知れない。小さくても良い、こどもを育てた、とか、実りある学生生活を送ったとか、仕事で会社に貢献したとか、社会に貢献する活動を行なったとかである。運動会の委員長をやったことも小さいがその一つになるであろう。
 このことは、若い人々に向かっても私のメッセージとして送りたい。
# by kobakazuk | 2009-10-16 18:33 | 老人ホーム
ある老人ホームの1日から(その4)
 介護に従事している職員は、このホーム東棟では三十数名であり、この中に男子職員2名もふくまれる。自分が介護を受ける立場を経験して、介護という仕事は本当に大変な仕事だということを知った。利用者の身の周りの世話が昼も夜も続く。勿論、交代制であるが、人が嫌がる仕事が続く。彼女ら(男子も含まれる)は嫌な顔一つせず、むしろ、喜んでいる感じさえある。彼女、彼らは介護にどのような気持ちで接しているのであろうか。
 話は私事なるが、今から20数年前、国立研究所の研究者の場合、その力をフルに発揮させるには何が要件となるか必死になって考えたことがあった。結論は、次のようであった。1、自分のやっている研究に創造性あるいは独創性があることを自覚する、2、自分の研究が将来、小さくても良い、社会、国家、世界に貢献することに確信をもつこと、3、その成果をまわりの人が評価してあげること。以上の3つの条件が極めて大事であることを見出した。そして、その要件を研究者が満たすように私も努力した。
 介護の場合、社会、家族、に対する貢献の自覚という要件が最も強く働いているのではないかと感じる。そしてその貢献しているという自覚がその人の生き甲斐にもなってくるのではないか。老人がある小さな仕事を任され、本人はそこに他者への貢献という生き甲斐を見出し、生き生きとしてくるという事はよく聞く話である。仕事に従事している彼らは使命感を強く抱いていると感じる。 
これから高齢化が進み、介護の仕事がますます重要になってくる。介護職に十分な手当を与え、仕事に心置きなく打ち込める環境を作り上げることが大事であると考える。
 一方、利用者の老人側も自らが動き出す姿勢を示すことである。。甘えた状況になってはいけないと思う。自分たちの色を自分たちのホームに付ける事を考えたい。
 
# by kobakazuk | 2009-10-08 08:54 | 老人ホーム
ある老人ホームの1日から(その3)
 私の場合、水曜日に朝9時半から隣接する病院のリハビリジムで、昼近くまで、ストレッチを主体とするリハビリ体操でこってりしぼられる。
 ここの老人ホームは病院とリンクしていることに特長がある。リハビリ体操にいくのも車椅子で送迎してくれる。かかる時間も1〜2分。自分の足で行く必要がないからいたって気楽なものである。また、現金も保険証も事務局が保管しており、もっていく必要はない。病院では医者が丁寧に診察してくれる。受付などの事務的な事はすべて看護師がやってくれる。
 また、歯科の医師と散髪屋が月曜日にホームの方に出張サービスしてくれる。いままで歳をとるとともに医者に通うことが多くなり、それに伴う医療費、交通費が嵩んでくる。このように医療関係が近くにあると大変助かる。
 初めて知ったことであるが、ホームは介護の範囲でしか患者に接しられないことである。注射などの治療の分野には手を出せないということである。それ故、体調を悪くすると、老人ホームでは治療が出来ず、病院に予約を取ってもて診察を受けねばならない。便利さがあると同時にこういった厄介さもある。
 また、昼間の行事として、ホームでは一月ごとに種々の催し物が計画されている。踊り、民謡、マジック、歌謡ショウ、習字、塗り絵、カレンダー作り、ゲームなどである。ボランティアとして、有志の市民による奉仕活動も多いようである。催しごとには出来るだけ参加することに心掛けている。今のところ、参加する老人達の熱気が私にはあまり感じられない。これは私だけであろうか。
 私は今までの自分の経験から、次のような信念をもっている。年齢に関わらず、性別に関わらず、職業、経験に関わらず、一生懸命に演じる、話をする人からは、必ず何かしろの感銘を受け自分のプラスになる何ものかが得られる。
相手に下手なところがあれば、自分ならこうやろうと勉強になるし、上手なところが有れば私も参考にしようと自分が向上したことに生き甲斐を感じる。一生懸命に聞けば、自分のプラスがあるということである。老人の場合も自分の向上にさらに生き甲斐を見いだすのではないか。生涯教育である。
 
# by kobakazuk | 2009-09-30 14:26 | 老人ホーム